今朝方、東京に戻る。
泥のように眠った、だいぶ疲れてたんだ。
今起きたので書く。


金曜日に福島へ泊まり、宮城県岩沼市で復旧作業をしていた。
高速道路は所々、隆起した道路あり、復旧の後も見られる。
自衛隊や県警の車、救援物資を乗せた車、重機を載せた車と
何台もすれ違う。
栃木を越え、福島に入るとそんな光景が続いた。

福島駅前は少しひっそりとした印象だった。
同じホテルには作業着の方々が沢山宿泊されていた。


福島飯坂から仙台南、東部道路を通り、仙台空港ICで降りる。
まずは車窓から見た仙台。
東部道路を通る内、海に向かうにつれ言葉に成らなかった。
写真を撮る気になれない。
ただ、目に焼き付けようと思った。

復旧作業にあたった建物は、
水位がここまで来たのだ、壁に泥の後が残る。
その深度、大変な事が起った事が誰にでも解る。生々しい。
地上から海まで見渡す。防風の松の木が無く、海まで丸見えだ。
変な風が起り、土埃舞う。
何も無くなっていた。何もなかった。本当に言葉にならなかった。

この状況下、生きてる事が奇跡だと感じた。



建物の4階の当時の退避場所で昼食をとる。
高台から見ると、被害の広さと深さが鮮明に解り、
その酷さに言葉が本当に出なかった。
「これでも綺麗になった方だよ。」の一言が信じられない。
これが真実、そのままを目に焼き付けた。

震災後、この景色を見ながらひとつひとつ、余震の続く中
泥まみれ、埃まみれになりながら復旧作業に携わってくれている方達
には本当に感謝しきれません。
本当にもっと過酷な被災地もあるだろう、大変な思いをされただろう。
今もされているだろう。景色を見る度、その気持ちでした。

つながろうニッポン。
がんばろう東北。がんばろう宮城。がんばろう福島。
絆、日本。

いや、言葉にせずとも 黙々と今日も復旧してくれている方々が
そこにはいます。
写真や動画やネットはごく一部しか映していない。
現地の今を目に焼き付けてから、出来る事も沢山あるでしょう。

僕は特に生まれ故郷が大変な目にあってるから、目に焼き付けておこうと思った。
スローガンだけじゃ駄目なんだ。黙々とやらなければならんのだ。
それに、もともと日本人は繋がっている。



作業日はいつもホテルを早く出、SAにて早い朝飯をとる日課でした。
埃まみれのブーツと軍パン、タオルを頭に巻いて朝食を取っていると、
「救援ありがとう。」と食堂のおばちゃんに労って頂いた事が忘れられません。