NIKKI

14年前に祖父は亡くなった。

学校まで自転車で通っていたので、帰り道に病室に寄っていた。
でも、喋れなくなっていく祖父を見るのは、嫌だった。
そして、震災のあった日。祖父は亡くなった。

もう14年たつのね、雪かきをして、お墓参りしてきたよ。
とメールが入った。



僕は祖父のどんな部分を引き継いでいるのだろうか。
と、考える事がある。父、母を越えて祖父のを。

しかし差し当たって見当たらない。
祖父は医者でしたが、僕自身は努力して医者になろう
なんて考えもなかった。勉強も嫌いだった。

けれど、祖父はいつでも笑顔だった事は覚えている。
一生懸命頷いて、笑顔の人、何でもやらせてくれる人
だった事を僕は覚えている。



本棚をつくったり、昆虫採集を手伝ってくれたり、
壁にも絵を書いた、僕。でもいつも笑っていた。
彼の部屋にはカメラが沢山有って、大きいスピーカーもあった。
写真が好きで、レコードが好きだった。
カメラを弄っても笑っていた。
レコードを触っても笑っていたよ。

僕を受け入れて、いつも笑顔の人だった。


彼が亡くなって、
僕は15歳から、14年間。
振り返ると実に様々な人と様々な場所で出逢い、別れた。
人を対象として、捉えていたのではないのか。
ある時は自分が最優先、ある時は所詮他人であるからと
自分本位で理由を付けて相手を受け入れず、Noを正当化し、
不粋なまま別れた人もいる。
それが廻って自分に跳ね返ってきたことも経験し、
それをも他人のせいにしようとした事もある。

自分がYesの人にしか、素直でもない。
だからその頃の出逢った数多くの中で友人、
と呼べる人は数は少ない。
心を開いている友人は希少で、身勝手な僕をそれも
君であると受け入れてくれた大事な存在である。恩を感じている。

中身が見えないと言われ、ある時は勝手にあんな奴なのさ
と言われた時もあったけども、
まあ、それでも別にいいやなんて思っていた。


しかしここ最近になって、ようやく僕は相手を受け入れる事、
そして笑顔でいる事を心がけられるようになった。
そのきっかけはいつだったか解らないけど。
方法として、「どうやって相手を受け入れるの?」と。
「どうやって笑顔でいられるの?」とどうやって?を自分で
探すようになったのだと思う。
ここ3年くらい前から、僕は考えるようになった。


祖父ならこう言うかもなあ、
こう笑うかもなあなんて考えるようになって
祖父を基準にじゃあ自分ならどうやって?を絶えず考えていた。

相手があるから、自分もあるんだなあと思うようになった。
そして友人の節目には、
「おめでとう!」よりもきっともっと温度が高いだろう言葉を探し出して、
カードに「life is beautiful! :)」と書くようにもなった。
これは驚くべき変わりようだ、祖父にも報告したいよ。


人生でちょっと掴んだ糸口を手繰って、
僕は祖父のように笑顔で相手を受け入れる事の出来る人になりたい。

14年経て、今朝母からのメールを見て、
改めてそんな事を考えていた。