仙台
『大事に生きてね。』
僕は仙台の実家で自分の30歳になる誕生日を過ごしました。
父と母に珈琲を入れて、苺のタルトを頂く。
「人に恵まれた人生だったよ。」
一言で言えば、本当にそれに尽きます、今までの僕の人生はね。
「20代がより人に恵まれた上、救われてきたと思う。」
「それは、自分でたぐり寄せられたのかもしれないね」と
母が言いました。
僕は20代を必死で走っていた。
そしてなりふり構わず走っていたら、途中で
カチコチになっていたプライドを、1度粉々にした。
20代の前半に一度。
やりたい仕事に及び腰で半歩づつ歩んでいた僕、
在るべき自分が見えていなかったのだろう。
自分を全否定され、言い訳すらも見透かされ「他人によってヒビを入れられた」と世間と他人のせいにしては、被害者面の僕。
それは意見を聞く耳を持たず、足をとめてと考える事をしていなかったという事でしょう。
なんだか必死に「自分らしさ」という漠然とした言葉だけで出来たプライドを大事にしていた。
でも、ある時に粉々にした。
なんで粉々にしたかは、もう実は覚えていないんだけど
そのほうがいいと考えた。
もう僕の体はくたくたのその先をいっていて、
おまけに東京での孤独をグワッと感じていた時だったと思う。
つまり深海の底にいた。
粉々になった粒を拾い集めて、粒と向き合って積み上げる途中重いものを捨ててきた。
そして磨ききれていない粒を磨きながらゆっくりと浮上した。
実に色々な人に恵まれ、守られ、僕を支えてくれた。
僕は良く聞いたなぁ、自分から。
「解らない自分がいます承知の上、教えて下さい」と隣人に。
繰り返すうちに、自分らしさは置いといて、
「人の為に何ができるだろう。」と考えられるようになった。
人を他人と言わなくなったのも、この時からだったように思うよ。
「それから実に色々な人に恵まれて、光が有って、今がある。」
と珈琲の2杯目を母に注ぎながら、そんな話しをしたら
『大事に生きてね。』の一言をもらった。
自分を大事にではなく、隣人を大事に想い生きる事を
残りの人生も自分の指標として。
僕は広い海を行く。
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30歳を迎えるにあたり、皆さんに感謝を。
はてなにていつも読んでくれ、☆を付けて頂ける皆様、本当にありがとうございます。
いつかお会いした時にも笑顔でお会い出来れば幸いです。
皆さんに健やかで素晴らしい人生が常に在りますよう。
inkbon
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