うどんやが中継点

金曜日に仕事を切り上げ、鍋焼きうどんを食べに行った。
ちょうど寒い夜だったもので、近所にあるいつものお店。


親父さんは普段余り喋らないけれど、仕事と言葉は大変丁寧な方で
「おかえりなさい、こんばんわ。」と声をかけてくれる。
いつも僕はコートをきちんとかけて、何も読まず、何もいじらず席で待つ。釜から上がる湯気を見ながら待っている。


そして、女将さんが揚げてくれる天ぷらとおやじさんのうどんが
いつもばっちりなタイミングで目の前に届くので、
僕はいつも手を合わせて、背筋を伸ばして頂くのだ。


親父さんは昔から「旅が好きなんだ」と話していた。
閉店の20分前、それでも「ゆっくり食べてね」という言葉に甘えてしまって、僕は親父さんと話しをしていた。


いつも2ヶ月くらいお休みをとるのは、女将さんと旅をしているのだそうだ。
「旅はこの仕事をはじめる前からなんだよね」と話してくれた。
ふらふらしていたけど、この地でやってみっかと思い立って始めたそうだ、うどんやを。

スキーが好きで、色んな国の山にも出かけているそうだ。

親父さんはなにより、その土地で出逢った人の事を話してくれる。
やさしい、あったかい、温和だよ。と。


よく旅の話しを聞く機会がある時、
「安い、高い、安全、あぶない、楽しい、いまいち」という言葉を多様する人もいるが、いったいその国はどんな国なんだろうと想像が出来ない事が僕は多い。興味がうすれていく、僕自身の勉強不足もあるんだけど。



親父さんと女将さんは旅の中でまず人の事を話してくれる。
旅慣れているんだなと感じたし、まだ旅の途中なんだなとも僕は感じた。
2ヶ月、その土地で暮らすという事は、人との繋がりに敬意を払える人でないと
「やさしい、あったかい、温和だよ」という言葉は生まれないと思った。



今僕は東京にて仕事をし、暮らしている。
でもたまに自分の身の程を知りに、旅に出たくなる。
あらゆる情報のがんじがらめから抜け出したくなる。

自分自身の人との繋がりだったり、限界だったり、敬意を払う事が出来るか否かが間違ってないのかどうかを確かめに。


繰り返しているうちに、某所で独立し、僕もここでやってみっかと思い立つ日が来ると信じている。
そうしたら、僕も中継点を作って、人を迎えられる仕事をしたいと思う。