『最期まできっと速いので。』

実はたいていの事が、最近つまらなくなっている事に気がついている。
こういうもんかって納得できちゃうからなんだと思う。

けれど、この世に未練も無い。なんて言い切る悲観的な僕でもない。
嗚呼、ギターリフに心を常に潤ませる悲哀的な僕でもない。
ただただ日常のこんなもんか、に飽きてきているだけです。
納得できちゃう事にお金を、ぽんと払えちゃうことも良くないのではないか。


郷里に帰るということは、
生きる上での嬉しさを思い出す事だなあと
暖かい日、穏やかな元旦に神社の火の前にあたり、
僕はベンチに座ってそう思っていた。

寒かろうと布団を多く掛けてくれたり、酒を注いでくれたり、炬燵で蜜柑食べて寝た。
友人の子供にお年玉をあげたり、おじさんありがとうと電話口で言ってもらった。いつも屈託ない友人と与太話をしつつ、煙草をもらって珈琲飲んだ。これってけっこう嬉しいことの連続だよ。


しかし、いつもの人たちが急に、居なくなってしまうかもしれないよ。
僕もなにか、急に最期を迎えるかもしれない。
もしかして、もうそこまで速いかもしれない。
人生初の驚異的なスピードで、スピード違反をしているかもしれない。


僕自身も、家族も友人も、皆の最期のその時なんてわからない。


だから精一杯、顔を見ておきます。
図々しくも、出来る限りあなたの時間を僕に下さい。
今年の目標です。
今年もよろしくお願いします。


東京に戻る日に矢野さんのアルバムを自部屋で聴いておりました。
10曲目の「それだけでうれしい」を聴いて、年頭に考えていた事が
まんま歌われていて、ズタボロに泣いてしまった。今、気がついて良かった。